pushkin 舞台裏

三浦篤の研究室

サン=ミシェル大通り

2時限目
ジャン=フランソワ・ラファエリ
《サン=ミシェル大通り》

三浦先生
三浦 篤
今回3点の作品を選ばせていただきました。いろいろな時代のいろいろなタイプの作品があった方がよいでしょう。《草上の昼食》や印象派の作品はかなり論じられているので、あえてそうではない作品から選んでいます。

生徒

公式キャラクター:おじさん

おじさん

まさに世紀末のパリ

三浦先生 三浦

私がラファエリを選んだのは、印象派とは違ったタイプの同時代の画家としてなのですが、この絵は本当にパリの雰囲気をよく表しているんですよね。もちろん、今の人と服装は違うし、当時は馬車だったりしますが……。でも、夕暮れ時、雨が降って、その雨上がりに人々が街路に出てきた感じをよく出していて、ちょっと懐かしい。ここは左岸のサン=ミシェル大通り、つまり私もよく行ったことのある地区で、その雰囲気に惹かれて、思わずこれを選んでしまいました(画像1)。〔中央の建物を指さし〕これ、皆さんご存知のようにパンテオンです。

サン=ミシェル大通りの作品画像

左岸のこの辺りはカルチエ・ラタンと言われ、ソルボンヌ大学も近くにある文教地区です。そこのランドマークといえるのがパンテオンですね。丘の上にあって、新古典主義様式の建築ですが、もともとは教会でした。スフロという建築家が設計したサント・ジュヌヴィエーヴ教会が、19世紀になってからフランスの偉人、フランス国家に貢献した偉大な人物を祀る霊廟、墓所に変わったのです。たとえば、有名な人だと、19世紀の文学者でヴィクトル・ユーゴ―やエミール・ゾラ、20世紀なら哲学者アンリ·ベルクソンとか文人=政治家のアンドレー·マルローとかね。科学者のマリー・キュリーもそう。

ですから、ここはフランス国家にとって非常に重要な場所です。そこに上がって行くスフロ通りと交差するのが、前景のサン=ミシェル大通りで、中央がロン・ポワン〔円形の交差点〕というか、広場のような感じになっていて、絵には描かれないけれど手前がリュクサンブール公園。そういったカルチエ・ラタンの中心的な場所のひとつで、人や馬車が行き交って、賑わいをみせると)ころです。人物を見ると、男女のカップルがいて、あと右手に馬車が見えますね。乗っているのは女性2人。あとここに上流の老婦人と、エプロンを付けたそのお付きの召使といった風情の2人。こちらでは男性2人が話し合っている。前景の人物として、いろいろなパターンを描いているなぁ、という感じがあります。おそらく服装を調べると、これはカタログ〔本展覧会図録〕にも書いてあったけれど、1890年代くらいの特徴が表れているということなので、まさに世紀末のパリですね。

ラファエリは社会から疎外された人々を描いていた

三浦先生 三浦

この絵に登場する人たちを見ると、中産階級、ブルジョワジーという感じですよね。私がおもしろいと思ったのは、ラファエリはもともとそういう絵を描いてはいなかったということです。パリの郊外に住んで、どちらかと言えば庶民とか貧民をよく描いていた画家なんです。屑拾いとか店のおかみさんとか、あるいは社会的な落伍者、疎外された人々を描いていたんです。ところが、1890年代になるとパリの中心部に引っ越してきて、それからこういう絵を描くようになった。だから、これは本来のラファエリのイメージではないですね。どちらかと言えば、パリの場末の貧しい人たちを描くのがラファエリなんです。それがパリの中心部に帰ってくるとこういう絵も描くわけで、それがおもしろいというのも選んだ理由です。

ラファエリはレアリスム(写実主義)、自然主義と呼ばれる絵画傾向の画家で、先ほど名前を出した小説家ゾラは貧しい人々も含め、ありとあらゆる社会階級の物語を書いた人なんですが、ラファエリもまたゾラが書くような下層階級をよく描いていたので……。この絵はちょっと意外性がありましたね! そういう作品を描き始めた頃の最初くらいじゃないかな。ラファエリはパリの郊外、場末で描いていた頃には印象派展にも参加しています。時期的に重なるんですね。そして、ドガがラファエリを気に入ったんです。

ラファエリが印象派グループを仲違いさせた!?

〔社会に対する関心という意味でドガと〕主題が共通していることもあると思いますけど、イタリア繋がりもあると思います。ドガはイタリアにもルーツがあって、イタリア人とも親しくしていました。
三浦先生 三浦

それもおもしろいポイントですね。ドガは、自然主義系の画家ではほかにジャン=ルイ・フォランも意外と好んでいます。様式からすると印象派という感じではないけれど、ほぼ同時代でパリのさまざまな風俗場面を描いた画家たちを、ドガはけっこう気に入っていました。とくにラファエリの場合はイタリア繋がりもあると思いますけど、印象派展に引き込もうとするんです。印象派展に出品させようとして、そうするとモネやルノワールが反発するんです。ドガはそれでも強引に入れようとして軋轢が起こる。だから印象派展に不協和音をもたらした張本人が、このラファエリなんです。

張本人というか、完全に巻き込まれたんですね。
三浦先生 三浦

そうですね……。張本人というより、むしろ被害者かもしれない(笑)。張本人はドガですね。モネたちはラファエリが出すなら出したくないと。たしか1880年と1881年、第5回と第6回の印象派展にラファエリは出品していますが、モネとルノワールは参加していません。シスレーも参加していなかったかな。あの辺のモネ派というか、モネやルノワールたちは出品しなかったんですよ。〔ラファエリの作品を見ながら〕ここまで細かく印象派は描かないし、逆にいえばよく観察して描き分けていますよね。着ているものから細かなモチーフまで、かなり注意深く描いています。印象派の画家はここまではしません。画風が全然違うから一緒になりたくないというのはわかります。ラファエリはちょっと微妙な位置にいるんですよ。

第7回印象派展にはラファエリが参加しなかったので、ドガも遠慮して参加しませんでした。
三浦先生 三浦

その時はモネとルノワールは復活したんです。ドガ派とモネ派みたいな感じで。印象派展の後半はそうなってしまって、一枚岩ではないんですね。第3回くらいまで、1870年代は大体まとまっているんですけど、80年代以降はね……。

ピサロはどうだったんでしょうか?
三浦先生 三浦

ピサロはやっぱり一番大人だから。唯一最後まで出品しました。ラファエリを見ていると、同時代の現象として、やはりゾラのような自然主義小説に近いという感じがしますね。ゾラはマネとも印象派とも親しかったけれど、本当の意味で彼らの芸術をどこまで認めていたかは微妙です。美術批評を読んでも、批判的なことも書いていたりします。ゾラの立場からは、ラファエリも含め、ジャン・ベローやアンリ・ジェルベックスのように印象派とアカデミスムの中間くらいでパリの風俗を描いた自然主義の画家、そちらの方に共感を覚えるんじゃないかと思いますね。

印象派と同時期に活躍した印象派でない画家たち:ラファエリとベロー

ベローの作品はプーシキン美術館展に出品されていますね(画像2)。
《芸術橋》の作品画像
三浦先生 三浦

《芸術橋》ですね。こういう方がゾラの小説に近い気がします。全然印象派じゃないですよ。ラファエリの方がもう少し印象派に近いと言えるけれども、でも一緒ではない……。

ラファエリの経歴がおもしろいですね。3カ月しか正式な教育を受けていないから、こういった伸びやかな画風になったのでしょうか。
三浦先生 三浦

印象派の画家の中には一時期アカデミックな教育を受けた画家もいますよね。ドガもそうだし。ラファエリが3カ月で辞めたということは、ここは自分のいる場所ではないと思ったのでしょう。あるいは、アカデミックな歴史画を描くのは自分の任ではないと思ったのかもしれない。かといって、本当の意味で印象派のようにもならず……。パリのさまざまな風俗を描いた代表的な画家がジャン・ベローですが、彼はアカデミックな写実技法をベースにして、それをパリ風俗に利用しました。でも、歴史画は描かなかった。こういう風俗画家は当時けっこういて、一般には人気があったんですよ。パリのカルナヴァレ美術館に、ベローの絵がたくさんあります。本当にいろんなパリの風俗情景を描いた典型的な画家です。

パリ大改造があって、現代的なパリを描いた作品を欲しがる人が増えたということですか?
三浦先生 三浦

そうですね。ほどよい大きさで、買える値段だったらね。ジャン・ベローは買い求めやすい主題と画風だったのだと思います。でも、ベローは展覧会にも出品しています。どうも印象派のイメージが強すぎるので、他にも当時たくさん画家がいることが、知られていないんですよね。今回の展覧会にはそういう画家がかなり入っているので、それも見どころですよ。

ありがとうございました!次が最後の講義です!
学術協力

三浦 篤さん

東京大学教授

「夜明け前がいちばん美しい」。かつてプーシキン美術館でモネの《草上の昼食》を目にしたとき、思わず口にした言葉です。ここにはまだ印象派の画家として花開く前のモネがいます。二十代半ば、恋人カミーユと出会い、ルノワールやバジールら若い仲間たちと一緒に画家を目指す、青春真っ只中のモネ。《草上の昼食》には、1860年代半ばの初期印象派の魅力がいっぱい詰まっているのです。

三浦先生