HIGHLIGHTS【みどころ】

さあ風景画の旅へ
モネ《草上の昼食》 モネ《草上の昼食》

【第一部】
風景画の展開クロード・ロランからバルビゾン派まで

神話や聖書の物語などの背景として描かれてきた風景は、17世紀のオランダにおいて「風景画」として独立します。フランスの画家たちもしだいに自然とそのものに高い関心を示し、イタリアで目にした古代の遺跡や旅先の目新しい風景を描いていきました。
19世紀に入ると風景画の世界は豊かに花開いていきます。まず、身近な自然を愛したバルビゾン派の画家たちによる純粋な風景画が人気を博していきました。

第1章 近代風景画の源流

第1章 近代風景画の源流

エウロペの掠奪 エウロペの掠奪

《エウロペの掠奪》

  • クロード・ロラン
  • 1655年
  • 100×137cm
  • 油彩・カンヴァス

フェニキアの王女エウロペに一目惚れしたゼウス。彼は白い牡牛に姿を変えて、侍女たちと花を摘んでいたエウロペに近づき、彼女を連れ去ってしまいます。このギリシア神話の背景には、暴力的な場面とは対照的に美しい自然が広がっています。風が波を立てる様子や大きな木々、洋上の船などが丁寧に描かれ、理想的な風景が生み出されています。

ナミュール包囲戦 ナミュール包囲戦

《ナミュール包囲戦、1692年》

  • ジャン=バティスト・マルタン
  • 17世紀末–18世紀初め
  • 113×151cm
  • 油彩・カンヴァス

1692年、ルイ14世のフランス軍がオランダ軍の守るナミュールを陥落しました(第一次ナミュール包囲戦)。この歴史的な出来事を主題とした本作品には、戦いを指揮したセバスティアン・ル・プレストルをはじめ、フランス軍の様子が前景に描かれていますが、その後ろにはナミュールの町と、川と山に沿う要塞に適した地形が大きな空間の広がりをもって表されています。19世紀初頭にはナポレオンの妻である皇后ジョゼフィーヌが所有していた作品です。

森のはずれの集い 森のはずれの集い

《森のはずれの集い》

  • ニコラ・ランクレ
  • 1720年代後半
  • 64×79cm
  • 油彩・カンヴァス

きらびやかな衣服を身にまとった貴族の男女が戯れる場面。登場人物たちの少し大げさな身振りは、彼らが繰り広げる恋のやりとりを想像させてくれます。ヴァトーの雅宴画に影響を受けたランクレは、こうした優雅で軽やかな物語性のある絵画を得意とし、ルイ15世やプロイセン王フリードリヒ2世をはじめ多くのコレクターから愛されました。

水に囲まれた神殿 水に囲まれた神殿

《水に囲まれた神殿》

  • ユベール・ロベール
  • 1780年代
  • 38×55cm
  • 油彩・カンヴァス

ロベールが1760年に訪れた、古代ギリシア・ローマ時代の遺跡パエストゥムにのこるポセイドン神殿。さまざまなしぐさを見せる生き生きとした人々が、静かにそびえる古代建築を際立たせています。18世紀の資料を見ると、画家が実際よりも崩れた姿で神殿を描いたことが分かります。さらに、水で囲むことで遺跡を叙情的に浮かび上がらせています。

日没 日没

《日没》

  • クロード=ジョゼフ・ヴェルネ
  • 1746年
  • 68×81cm
  • 油彩・カンヴァス

18世紀フランスを代表する風景画家ヴェルネは、1734年から20年ほどイタリアに滞在しました。この地をグランド・ツアーで訪れる各国の人々は、彼の風景画に熱い視線を注ぎました。ヴェルネは壮大な空と海の織り成す光景など、「崇高」な自然を描き出していきます。本作品では、穏やかな夕暮れの光が画面全体を包み込んでいます。会場では、対となる《日の出》も併せて展示します。

刈り入れをする人 刈り入れをする人

《刈り入れをする人》

  • レオン=オーギュスタン・レルミット
  • 1892年以前
  • 51×63cm
  • 油彩・カンヴァス

産業化の進む都市部の人々のノスタルジーを誘う、理想的ともいえる黄金色の麦畑。収穫は、腰をかがめ小さな鎌で麦を刈り取る重労働ですが、女性たちは落ち着きのある美しい身のこなしで仕事に取り組んでいます。ミレーの影響を強く受けつつも、ときに理想化しながらたくましい農民の姿を描いたレルミットは、農民画家として同時代の人々の人気を集めました。

夕暮れ 夕暮れ

《夕暮れ》

  • ジャン=バティスト=カミーユ・コロー
  • 1860-70年
  • 46×37cm
  • 油彩・カンヴァス

木々の陰や日の当たらない野原の暗い色調は、日没後の余韻のような美しい光に目を向けさせます。現実のある場所の写実的な描写というよりは、コローが1860年代に多く手掛けた「想い出(スヴニール)」に分類されるものと考えられ、若き日に滞在したイタリアやフランスの田園風景の記憶から生み出された風景でしょう。詩的な情趣溢れる一点です。

山の小屋 山の小屋

《山の小屋》

  • ギュスターヴ・クールベ
  • 1874年頃
  • 33×49cm
  • 油彩・カンヴァス

パリ・コミューンの際にヴァンドーム広場の記念柱を破壊した責任を問われ、クールベは1873年にスイスへ亡命します。画家は故郷を想いながらもスイスで58歳の生涯を閉じることとなりますが、その3年前に描かれた作品です。雪に覆われたアルプス山脈の頂を背後に、慎ましい山小屋が描かれています。煙の立つ煙突や干された洗濯物が、暖かい室内と人の存在を示しています。

モネ26歳、印象派の序章
モネ《草上の昼食》

【第二部】
印象派以後の風景画

第二部では、描かれた場所に注目し、大都市パリを基点に風景画の広がりを展観します。19世紀半ばから、パリでは外科手術に喩えられるほどの「パリ大改造」(18531870年)が行われ、街並みが大きく変わります。印象派の画家たちは生まれ変わったパリを歩き、近代都市の情景を数多く描いていきました。パリを起点に鉄道網が発達すると、人々は郊外に出かけレジャーを気軽に楽しむようになります。画家たちも郊外に取材し、さらには南フランスの海辺や自然豊かな風景をさまざまに表現していきました。また、万国博覧会で展示される異国の文化、メディアの発達でもたらされる各地の情報は、画家たちをさらに遠い世界へと誘っていきます。

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パリのサン=ミシェル橋 パリのサン=ミシェル橋

《パリのサン=ミシェル橋》

  • アルベール・マルケ
  • 1908年頃
  • 65×81cm
  • 油彩・カンヴァス

1908年、マルケはかつてマティスも暮らしたサン=ミシェル河岸19番地に移り住みます。本作品は、その部屋の窓から見下ろすように、少し高い視点からサン=ミシェル橋の往来が描かれています。抑制された穏やかな色調、巧みに単純化された形態で、詩情豊かにパリの街角が表されています。

庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰 庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰

《庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰》

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール
  • 1876年
  • 81×65cm
  • 油彩・カンヴァス

ムーラン・ド・ラ・ギャレットはパリのモンマルトルにあった大衆的なダンスホールですが、喧騒から少し離れた木陰で、男女5人が楽しげに語らう様子が描かれています。背景の木々も人物も、やさしく穏やかな筆の運びで表されており、彼らが幸せなひと時を過ごしていることが伝わってきます。作品裏面の書き込みによると、後姿の女性はルノワールのお気に入りのモデルであったニニ、その後ろから顔をのぞかせるのは画家モネです。

サン=ミシェル大通り サン=ミシェル大通り

《サン=ミシェル大通り》

  • ジャン=フランソワ・ラファエリ
  • 1890年代
  • 64×77cm
  • 油彩・カンヴァス

街灯がともり始める夕暮れの通りを、多くの人々が行き交っています。奥に臨む建物は、フランスに貢献した偉人の墓所となっているパンテオンです。リュクサンブール公園の東、サン=ミシェル大通りから、整然と通り沿いに並ぶ建物を背景に描かれました。制作年の記載はありませんが、丁寧に描かれた人物の服装から1890年代の作品だと推測されています。

パリのピガール広場 パリのピガール広場

《パリのピガール広場》

  • ピエール・カリエ=ベルーズ
  • 1880-90年代頃
  • 38×46cm
  • 油彩・カンヴァス

画面に描かれていない建物が、通りの3分の2ほどに影を落としています。右下の街灯にはしごを架けて灯を入れるような様子も見えることから、夕刻の往来でしょう。少し高い位置から俯瞰で捉えられた通りにはカフェなどのお店が並び、箒を持つ掃除屋、子供を連れた乳母をはじめさまざまな人物が描かれています。ピガール広場は、モンマルトルの丘のふもとに位置し、ルノワールやボナールもその賑わいを描いています。

《草上の昼食》

《草上の昼食》

  • クロード・モネ
  • 1866年
  • 130×181cm
  • 油彩・カンヴァス

1865年春、モネは翌年のサロン(官展)に出品するべく、縦4メートル、横6メートルを超える大作《草上の昼食》に挑み始めます。その舞台は、現在のバルビゾンのすぐ北に位置するシャイイ=アン=ビエール。友人で画家のバジールやのちに妻となるカミーユらをモデルに現地でスケッチをして構成を練り、秋からはパリのアトリエでの大きなカンヴァスに向かいます。
制作にあたりモネが、1863年に発表されたマネの《草上の昼食》から刺激を受けたことは間違いないでしょう。ギュスターヴ・クールベの作品にも見られるような狩りの合間に休息し食事を楽しむ風景は、18世紀のロココ美術においても好まれた主題でした。モネは、同時代だけではなく伝統的な絵画も視野にいれながら構想したと考えられます。
しかし、この野心的な大作はサロンに提出されることはなく、のちにモネ自身の手によって切り分けられました。プーシキン美術館の《草上の昼食》の位置づけはまだ議論の尽きないところですが、大きな《草上の昼食》のための最終下絵として描き始められたものでしょう。ただし、サインと年記が書き込まれていることから、完成した作品とみることができます。断片となったモネの構想を今に伝える作品となっています。

霜の降りる朝、ルーヴシエンヌ 霜の降りる朝、ルーヴシエンヌ

《霜の降りる朝、ルーヴシエンヌ》

  • アルフレッド・シスレー
  • 1873年
  • 46×61cm
  • 油彩・カンヴァス

ルーヴシエンヌはシスレーが1872年から移住したセーヌ川沿いの町。限られた色彩で描かれる町並みと、画面の半分ほどを占める白ばむ空が、霜の降りる冬の朝の凛とした空気を伝えてくれます。中央の道には、朝のあいさつを交わすかのように歩みを止めた二人の人物が見えます。こうした何気ない日常の描写に、画家の身近な風景に対する温かなまなざしが垣間見えます。

白い睡蓮 白い睡蓮

《白い睡蓮》

  • クロード・モネ
  • 1899年
  • 93×89cm
  • 油彩・カンヴァス

パリの北西70kmほどのジヴェルニーにモネがつくりあげた「水の庭」。光の反映によって表情を変える水面と岸辺の風景が、緑色を中心としたみずみずしい色彩で表されています。1899年から1900年にかけて、モネは太鼓橋の架かる睡蓮の池をモチーフに18点もの絵画を描きました。1926年に亡くなるまで「睡蓮」を繰り返し描きますが、本作品はその最初期の1点です。

ブーローニュの森 ブーローニュの森

《ブーローニュの森》

  • アンリ・マティス
  • 1902年
  • 65×81.5cm
  • 油彩・カンヴァス

パリの西側に広がるブーローニュの森は、ルーヴル美術館から5kmほどの場所。マティスは、森の小道の写実的な描写よりも、彼自身が感じた印象を表そうとしているようです。木々は現実に見える色彩を保ちながらも、形態はやや単純化され、陽光は幅の広い筆触で大胆に小道に差し込んでいます。

《港に並ぶヨット》

  • アンドレ・ドラン
  • 1905年
  • 82×101cm
  • 油彩・カンヴァス

マティスらの作品が「フォーヴ(野獣)」と批判された1905年のサロン・ドートンヌに展示された記念すべき作品。鮮やかな色彩とリズミカルで自由な筆触で、コリウールの港が描かれています。色彩の置かれなかった白い帆や水面がまばゆい日差しを感じさせ、色彩をいっそう強く感じさせてくれます。

廃墟のある風景 廃墟のある風景

《廃墟のある風景》

  • アルマン・ギヨマン
  • 1897年
  • 79×93cm
  • 油彩・カンヴァス

1893年からギヨマンは、クルーズ川流域の小村クロザンで、丘陵と城の廃墟の織り成す風景を描くようになりました。高低差のある地形と谷の間を流れる川の水面は、さまざまな光と陰をつくり出します。ギヨマンはこの谷間からの景色を好み、繰り返し描きました。本作品では、豊かな色彩が装飾的な画面を生み出しています。

サント=ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め サント=ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め

《サント=ヴィクトワール山、レ・ローヴからの眺め》

  • ポール・セザンヌ
  • 1905-06年
  • 60×73cm
  • 油彩・カンヴァス

セザンヌが1902年に最後となるアトリエを構えたのは、高い位置からサント=ヴィクトワール山を臨む見晴台に近く、プロヴァンスの町を見渡すことのできるレ・ローヴの丘でした。重なり合う筆触が幾何学的な形のまとまりとなって画面全体を構築しています。本展には、セザンヌが本作品より20年以上前に描いた《サント=ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め》も出品され、画家の展開を比較することができます。

マタモエ、孔雀のいる風景 マタモエ、孔雀のいる風景

《マタモエ、孔雀のいる風景》

  • ポール・ゴーガン
  • 1892年
  • 115×86cm
  • 油彩・カンヴァス

1891年、ゴーガンは原プリミティヴ始的な暮らしを求めてタヒチ島へ赴きます。タイトルのタヒチ語「マタモエ」の意味は議論されてきましたが、パリで展示されたときにゴーガンはフランス語で「死」というタイトルを付しています。画家のタヒチ滞在を綴った『ノア・ノア』を参照すると、文明化されたヨーロッパ人としての自身の死を示唆していると考えられています。

馬を襲うジャガー 馬を襲うジャガー

《馬を襲うジャガー》

  • アンリ・ルソー
  • 1910年
  • 90×116cm
  • 油彩・カンヴァス

1905年頃から、ルソーは中央に動物を配した熱帯のジャングルを舞台とした風景を手掛けており、本作品においても同じ構図がとられています。獰猛なジャガーに襲われた白い馬は、何とも言えない表情でこちらを見つめています。凄惨な場面にも関わらず、青々とした空と深い緑の織り成す密林によって、画面全体は幻想的な静寂に満ちています。

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